松田聖子と神田沙也加それぞれの所属事務所の関係と経緯

松田聖子と神田沙也加それぞれの所属事務所の関係と経緯

松田聖子さんと神田沙也加さんは実の親子です。同じ事務所に所属していた時期もありましたが、2014年以降は別々。

それぞれどう言った事務所に所属してきたのか、経緯をまとめました。

目次
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松田聖子の所属事務所の移籍歴

  • 1980年、デビュー当時:サンミュージック
  • 1989年、サンミュージックを契約満了に伴い退社し、個人事務所ファンティックを立ち上げ所属
  • 1999年、ソニーのプロデューサーだった若松宗雄が代表を務めるグリーンパークミュージックに移籍(この間、個人事務所ファンティックは閉鎖)
  • 2002年、グリーンパークミュージック時代にデビューした長女の神田沙也加を引き連れて再独立しファンティックを再開
  • 2014年、felicia clubを立ち上げ移籍。神田沙也加はファンティックに残留。

神田沙也加の所属事務所の移籍歴

  • 2001年、デビュー当時:グリーンパークミュージック
  • 2002年、母、松田聖子と共に松田聖子の個人事務所ファンティックに移籍
  • 2017年、ファンティックに併設されたローブに移籍

ファンティックにまつわる事(母娘が別々の事務所になった理由)

ファンティックは、松田聖子さんの個人事務所で、1989年の立ち上げ当初は、松田聖子さんの父、蒲池孜さんが代表を務めていました。そして約10年間ファンティック所属時代が続きます。

そして1997年1月の神田正輝さんとの離婚から2年後の1999年、元所属レコード会社「CBCソニー」の元ディレクター・若松宗雄さんが設立の「グリーンパークミュージック(現・エスプロ)」へ移籍しファンティックは閉鎖します。

なぜ「グリーンパークミュージック」に移籍したのか、ハッキリとした理由は定かではありませんが、若松ディレクターと聖子さんとの間に、将来的な価値観が合ったのかもしれません。

「グリーンパークミュージック」に移籍に移籍した1999年はアリーナクラスのコンサートツアーは事務所的に開催することはできず(会場の使用許諾を得ることが出来なかった)、初のライブハウスツアー「Zepp Tour」を開催しています。

そしてたった3年で「グリーンパークミュージック」時代は終わり、2002年ファンティックを再開します。この時、すでにデビューしていた神田沙也加さんも一緒にファンティックに所属しています。



そして12年経った2014年、親娘は懐を別つことに。聖子さんは新たな自分の個人事務所「felicia club」を立ち上げそちらに移籍し、沙也加さんはファンティックに留まります。

2014年というと、神田沙也加さんが「アナと雪の女王」でアナ役の日本語吹替えを好演、大ヒットした年です。もう母親に頼らず自立したい!という意志の表れでしょうか。

沙也加さんが留まった、というより、聖子さんが一方的に出て行った、という方が正確かもしれません。

「felicia club」は、聖子さんの元恋人と噂された11歳年下の聖子さんの元マネージャーと聖子さんが二人で立ち上げた事務所です。この頃、自宅にも頻繁に招き入れていたとの話もあるので、もしかしたら沙也加さんは快く思っていなかったのかもしれません。

松田聖子さんとファンティックの関係は、完全に切れたわけではなく、「松田聖子」の知的財産管理・運用業務に特化した業務を行なっています。

2021年12月時点で、ファンティックは「松田聖子」の知的財産管理・運用業務に特化した業務のみを行なっており、芸能事務所として、アーティストをマネージメントするような業務は行なっていません。


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